【校長インタビュー#7】名古屋中学校・高等学校の校長 加藤与仁先生へインタビュー!

今回は愛知県名古屋市の名古屋中学校・高等学校の校長である加藤与仁先生へお話を伺いました。関東の学校とはまた違った、愛知県の私立学校へのインタビューになっています。
先生の略歴や校長としての想い、数学への想いなどさまざまなお話を伺うことができました。

加藤校長が教員になったきっかけ

ー加藤先生が教員になったきっかけを教えてください。

加藤先生(以下敬称略):中学時代に通った個人塾の先生の指導が肌にあって、数学に興味が湧いたというのがあります。そもそも友人含め5人くらいで塾に通うことになったんですが、そこの塾の教え方が良いというより、自分の肌に合っていました。
いわゆる今で言うとちょっとスパルタみたいな塾ですね。
英語はひたすら当時の教科書を何回も読め、発音は少々悪くてもいいから何回も読む、あるいは単語を何回も書くという、とにかくたくさん書いたり、読んだりすれば絶対にできるっていう教えの塾でした。

一方数学は、数学の中1の教科書を初めから全部読みながら問題を解いていけ、わからなかったら聞け、という方針でした。
中1だから足し算引き算はもちろんですが、マイナスの数字も解説は一切なしです。教科書を読むと教科書に書いてあるのが理由ですね。
そして1時間とか1時間半考えてわからなかったら先生に聞いてました。でも聞いた時も全部教えてくれるわけじゃなくて、ちょっとしたヒントを教えてくれるだけです。

それが今の僕の数学教師としてのカラーなんです。生徒がたまに校長室にくることがありますが、全部は教えません。どの辺まで分かったの?こういう風に考えてみたらって一旦考えさせるために帰らせるっていう感じです。

数学の教員を目指したきっかけ

加藤:自分が中学校3年生の時、愛知県で中統っていうテストがありました。そこで愛知県の有名校に行けるくらいの点数を取れるようになって、少なくとも英語と数学はそこそこ点が取れるので、自分の気分が良くなりますね。
当時数学が得意で、図形の問題がすごく好きになって、わざわざ問題集を買ってやってるくらいだったので、友達も何かあるとすぐ聞くじゃないですか。
そういう時に女友達が、教え方は先生よりうまいよって言ってくれたんです。
友達から、問題のどこでわからなくなってるか気がついてるみたいだって言われて、それも教員を目指したきっかけの1つです。自分も数学の教師をやりたいなと思いつつ、周りからの助言もありましたね。

ー教え方が上手いって言われてきっかけにしたのもあったということですが、自身で数学教師になりたいと思っていたのは、もともと教えたいという思いがあったということでしょうか?

加藤:教えたいっていうのもありますね。聞かれて嫌っていう風には思わなかったです。聞かれてめんどくさいって思う人もいるじゃないですか。(笑)

名古屋中学校・高等学校の歴史

加藤:学校が設立されてから135年が経ちますが、始めは横浜で経験されたキリスト教の宣教師の方が来られて、名古屋の栄あたりに学校を開校しました。
聖書や宗教だけでなく布教活動のためにも英語や算術を教えるという考えで開校に至っています。

その中で必然的にお金が必要になりますよね。本国のアメリカ人たちからの寄付だけではなく、地元の日本人たちから寄付を頂いたり、地元の方に開校のための土地を提供して頂いたりして学校が成り立ったようです。

そのあと戦争の影響があって最終的に現在の砂田橋という土地に移動した、ということです。なのでオーナーがいないんです。今の校舎も同窓会の方や職員なども含めて寄付を呼びかけることで資金を集めています。

教員を目指す中での挫折と思い

ー高校生の時には、もう強い思いで数学の先生になると決めていたということですよね。

加藤:高1の時の面談で夏ぐらいの面談で、担任に教員養成系の地元大学の数学科に行くって言ってます。じゃないと、教員になれないって思っていました。
愛知県では中学校の時の数学の先生方がその大学の数学科の人が多いっていう影響もあるんです。

ーでも名古屋大学に入学されていますよね?

加藤:それは結果的に親と先生に踊らされたんです。あとで、母親が先生との面談で変な知恵を働かせて。
当時、田舎の横須賀高校という公立高校は、20名ぐらいが名大に行くような学校なんですよ。それで僕のとっていた成績がその範囲内だったので、それを見て母親が担任に相談したんです。
名古屋大学でも教員になれるんですよねって。2人の作戦ですよ。

ー名古屋大学を目指した2人の作戦なわけですね。

加藤:初めは僕は否定するんです。教員になれないからって言ったら、担任が「俺も名大だし、あの数学の先生は早稲田大学だし」って言うんです。
逆に名大にシフトチェンジして、結果的には自分は良かったかなと思いますが、その時点でいわゆる教員養成系の大学は全然視野に入らなくなりました。
それで数学科に行きたいと思ったんです。数学科で教員になれるんだったら数学科に行きたい。数学をやりたい。だから結果的にそれでよかったですね。

ー数学の教員なりたいのもそうですけど、数学を勉強したい、数学に携わってるのが楽しいっていうのが強烈にあったということでしょうか。

加藤:そこですね。歴史上の数学のすごい人ほどではないと思いますけど、この辺の人の中では好きな方なのかな。
でも大学祭で教養部の時の過ごし方が酷く学部の授業も行ってなかったから、僕は学部で実は進級できなくなったんです。現役で入学してるんですけど、一年留年してるんですよ。
ただ、自分の中で最終的に教員だって決めたのがその留年した時です。

留年して一つ下のみんなと講義を受けてたんですが、はっきり言って何もわからないんですよ、サボってたんですから。びっくりすることに知らない記号とかがある、その知らない記号の読み方もわからない。
しかし、その知らない記号を後から友達に聞こうと思って、黒板に書いてる記号をノートに写している自分が楽しんでいるんですよ。楽しいと思ってノートに写してるんです。

ーその楽しいというのは、どういう感情なんですか?

加藤:数学に触れてるってことです。
あれだけサボってた人間が、こうやって数学に触れてるっていうことです。不登校になってもおかしくないんじゃないかと思うくらいわからないんですよ。
ところが、それを写している自分が後から友達に聞いて教えてもらおうって思ってる自分がいてワクワクしてるんですよ。
その時思ったのが、数学は僕を裏切らないな、ということです。
数学はあんまり大学でやってないから、だけど全然そんな状態にもかかわらず喜んでる自分がいるっていうと、数学は絶対に僕のことを裏切らないだろうな。それなら僕の一生の仕事にしていいなっていう風に思いました。

ーそれが大きな数学教員を目指したきっかけでしょうか?

加藤:大きなきっかけです。だからそこで書いた時に苦痛だとか言っていたら、教員をそのまま目指したかどうかわからない。

ーそうですよね。

加藤:高揚感ですね。わからないにもかかわらず、高揚してるんですよ。

ー数学が楽しいと感じていても教職課程って、教科のことなんて教職課程にはほぼないじゃないですか。もちろん教員になるための授業はありますけど、その辺はどう乗り越えましたか?

加藤:教員養成は僕の妻も教員やっているので話を聞くと、やっぱりその自分の教科以外の教育法が結構多くて、いわゆる指導案みたいなものの講義もあったらしいんです。でも当時名大にはそういったのは無かったんですよ。
とはいえ全くないわけではなくて、教員免許証を取るために、数学教育法、青年心理学、その辺は取らなきゃいけないです。
当時は土曜日の午前までは講義があって、土曜日の午後はみんなフリーなんですね。
その土曜日の午後に教育学部に行って、数学の青年心理学など必要なものを受けるんです。それで単位としては取れていたので、今の教員養成と比べるとあまり苦痛にならなかったです。

名古屋高校で働き始めた理由

ーなぜ私立である名古屋高校に就職されたんでしょうか?

加藤:愛知県の公立教員の試験に受からなかったんです。

ー2年目もやろうとは思わなかったんですか?

加藤:やろうと思いました。
やろうと思った時にまた母親が出てくるんですけど、一留もして、もう1年頑張ってそれも許してはくれたんですけど、来年ほんとに教員しか目指さないのか。っていうことは言われちゃいました。
そう思っていたところに全然違う話が舞い込んできたんです。
名古屋大学の求人に名古屋高校が冬近くに数学科の教諭を募集するっていうのを出したんですよ。その時にそれを見た1つ下の後輩が先輩になる僕に連絡をしてくれたんです。受けてみたら、と。

加藤:あとは恩師の言葉も名古屋高校を選んだ理由ですね。
恩師が、結局愛知県は公立天下だから、ほとんどの人は公立の教員になっているけど、この名古屋高校っていうのは、昔は名門で愛知県は東海と名古屋という風に言われるくらいの学校だよって言ったんです。全く存在すらも知らない学校でした。

ー当時は公立畑ですもんね。

加藤:東海は当然そのころから有名なんですよ。僕の高校時代でも東海は別格な学校っていうなかで、名古屋高校については存在も知らなかったです。
うちの学校もどん底まで落ちた学校なんです。要するに、かなり負債を抱えた時代があり、経営危機があったと聞いています。
新聞にも名古屋は潰れるんじゃないかと出たことがあったみたいです。
僕の友達に公認会計士がいるんですけど、そいつは名古屋高校に入ったみたいだけど大丈夫か、あそこってやばいって言われた学校だぞって言われたぐらいなので。

でも僕からすると就職先が決まってないところで、この学校があって、恩師からも公立と私立の違いをはっきり言われて。
公立は転勤になるから嫌なことも忘れられるけど、私立は骨をうずめられる学校ってのが私立だよと。
自分たちが思うような学校にしていけるというのもありつつ、逆にしがらみが強いからそれがうまくできなかったらやめるしかないかもしれない、というそんなような言葉の中で、とりあえず就職しようかという感じで入ったのがこの名古屋高校でした。母親は反対でしたよ。

ー結構気になったんですが、愛知県は公立信仰が強いエリアなので、あと1年浪人して公立の教採受ければいいのに、みたいなのは言われましたよね?

加藤:僕は正直な話、やめてもいいっていうつもりで入っている。でも、1学期ぐらいではもう母に言ったんじゃないですかね。「しばらくここでやる」って。

ーなぜですか?

加藤:生きがいを感じました。

ー私立の学校で働くっていうことに、でしょうか?

加藤:ちょっとこれも長くなっちゃうんですが。当時はそういう学校になったうえで、ほんとに偏差的にもすごく落ちてて、国公立大学に受かるのは片手もいないぐらいの学校に落ち込んでます。

偏差値が落ち込んだ名古屋高校から国公立に行ける生徒が現れる

加藤:結局当時進学クラスを作ることになって、3年目か4年目ぐらいに僕が入ったんです。
ところがこの3、4年のうちの初めの1年は、あんまりうまくいってなかったみたいなんですけど、僕がちょうど入ったのが4年目のところの学年ともう1つ上の学年の理数クラス、人文クラスというのがあって、いわゆる理系文系です。
その理数と人文の先輩の先生方にものすごい影響を受けたっていうのが正直なところですね。

加藤:数学の先生と英語の先生がそれぞれ小テストを作って、子供たちに一斉テストって言ってやるんですね。8割で合格してれば帰れますが、受からなかったら受かるまで学校に残らないといけないんです。1番最後のやつだと、夜9時ぐらいなんですよ。

もう叩き込んで数学、補習やって教え込んでテストやるっていうやり方をしとって、僕が入った高校1年生の学年でも30代の先生2人が同じやり方をしてるんですよ。
この4人に僕は影響を受けたっていうのが正直で。なぜかそれ以外の先生たちっていうのは、そういうやり方をかなり批判的にみてる。

ー全く違う考え方ですよね。

加藤:そんなやり方はおかしいって言ってました。特に僕と同じ学年の30代の人は、上のおじいさんたちが9時ぐらいまで残すんだからって言って、10時ぐらいまで残すんです。
僕は僕でその学年に入って、生徒たちを残しているのを見るじゃないですか、一方で自分はそのクラスじゃない方の授業をやるじゃないですか。
僕の見方なんですけど、この子たちが自分の請け負っているクラスの子たちが必ずしも自分たちもこっちのクラスのことに満足してるっていう感じではないんです。

この中でそこのクラスみたいにやってくれたら自分もできるかもしれないとか、勉強したいとか、身につけたいってやってほしいっていう子も出てくるんですよ。
それで「数学のできそうな子、あるいはその意欲がある子をまとめて僕から話しながら集めちゃおうか」と考えて、結局2クラス作って教えていたんですが、3年生で国公立に1人出るんですよ。偏差値が落ちてしまった学校から、国公立に行ける子がでてきたんです。
こっちはこっちで国公立に行ける子がでてきて、おじいさんの先輩たちの理系の方は、名大に1人から、国公立に10人近く出すわけですよ。
下の僕と30代ぐらいの人たちも追いつけ追い越せって感じで頑張ってきて、そういう流れの中でずっとやってきて、今の学校ができてきたと感じています。

加藤:最初1年2年やってる中で、1年目でしばらくやってみるって思っていたけど、2年目の近くですかね。結局2クラス先輩たちに相談して、数学が好きな子たちを集めてやっていきたいっていう風に言うってことは、そんだけ責任持つってことですよね。

ー少なくとも2年もあるってことですよね。

加藤:その2年終わった後、次の時は4年目は、高1のさっき言った先輩たちがやってるクラスをお前が今度はやれって。大学進学者数がこっちを肝にして増えていくわけですよ。そういう先生方が増えていって、ようやく今は現役を含めて国公立に150人とか受かるようになった
もちろん、それだけでいいんじゃないんですけどね。
生活指導とかも体育の先生が中心としてやっていかないと、授業がちゃんと成り立たないので、当然、補習とかやったって無理じゃないですか。

今の生徒と当時の生徒との比較

ー今の生徒さんってどうですか?当時の生徒さんと比べて。

加藤:勉強のポテンシャルは高いですね。当時は本当に学校に残してやらないとダメだから。一体感も生まれちゃうし、この子たちと一緒に走ってる。
だから当時卒業したクラスの子たちと、最近のところで卒業したクラスとやっぱり密度が違うし、思い出も違う。関わり方も全然違いますもんね。

加藤:さっき言った30代の人が10時まで残すっていうから、僕もそれぐらいはやらないと…。12時近くになったこともありました。そんな理数人文コースだったので、愛知県でそういう生徒を残して教えたりとかやるところもなかったので、倍率が26倍近くになったこともあったはずです。

ー公立信仰の地域で26倍はすごいですね。

加藤:1クラス募集ですからね。結局愛知県って、当時もそれぐらいだったんですけど大体、中学3年生の進学を希望する子たちの2対1で公立私立なんですよ。愛知県って、評定が5割で学科試験が5割だったので、評定がある子たちが、基本的に試験だけで評価されない公立に出ちゃうわけです。
そうすると逆に言うと、私立は評定がない子たちが行かざるを得なくなっていたんです。評定がない子たちっていうことは全てそうではないですが、本当に運動が苦手だったり芸術とかが苦手な子です。
そういう子たちが、結局私立を目指していることが多かったです。その中で例えば数学だけ得意な男の子で数学だけは興味があるとかいう子がいたら、その親とか子供からすれば、名古屋がそういうクラスを作ってくれて、しかも国公立に1クラスでそれだけ入った高校なら、ってちょっと期待して志望してきてくれるという流れですね。

ー今もそういう流れはあるんですか?

加藤:スパルタじゃないとは言えないですね。他校と比べると絞る学校と言われますね。
なぜ開成とかああいうのに行くかって言ったら、進学実績だけじゃないと思うんです。学校のカラーとかそういう実績をみんなが思ってるからでしょう。
実績がないところにはやっぱり来ないですよね。実績が少し出たところには行こうとしたりしますよね。たまたまうちにとってはそういうやり方をしていたというのが、売りだったっていうことかなと思うんです。

生徒とのエピソード

ー受験に上手くいった生徒もいた半面、上手くいかなかった生徒もいたと思うんですが、先生はどういう関わり方をされてましたか?

加藤:僕はどっちかというと、いいかどうかわからないけど同調していくパターンの方が多いです。その子と同じような目線になって話をはじめして、でもそこから立ち上がらせようとするような言い方をするっていう。
だから現在の生徒の価値観や意識だと、うまくいくかどうかは別ですね。

自分の中で関わってきた中で、こういうように君が成長したときあるじゃんっていうなことを話してあげて、それがたまたま今回うまく当たらんかっただけで、来年もう1回やってみればいいじゃんとか、なんだったら一緒にお母さん説得しようかとか、そんなような話をしてることの方が多いかなっていう気はします。
僕がどっちかというと、マニュアルがあると思ってないので、これはこれだと思った動きで行くっていう感じの方が多いですね。

うまくいかなかったケースもありますよ。国公立を受けるんだけど、もう大失敗してダメだって言って、家出しちゃった子がいて、結局探しまくって、ゲームセンターでゲームばっかしてるんです。結局、立ち直らせることはできなかったね。人生なめるなって言っても、それ以上にショックを受けちゃった。
だからもうその辺はね。その時のそれまでに関わってきた子たちの性格とか見て、今でも校長になってから教頭の時もそうだけど、親に言ってるのが、親がどういう風に思ってるかわからないですけど、進路指導は親でもできますよ、と訴えています。
間違いなくお母さんお父さんが自信を持ってほしいのは、18年間、子供たちを1番見てきたのはお父さんお母さんですよ。先生たちはプロです、でもプロと言っても、所詮3年間ですよ。3年間の中でしか見てないです。

お母さんお父さんは絶対18年間、どういう紆余曲折があってここまで歩んできたのかを知ってるし、そして一方で、お父さんお母さんは、教員よりももっと難しい職業を継いで頑張ってる方だったり、そういう壁を乗り越えてきた人生の先輩ですよ、子供たちにとっては。自信持ってやってみてくださいよ、と思っています。

今後の目標やビジョン、名古屋高校への想い

名古屋中学校・高等学校の建学の精神「敬神愛人」

ー今やれる中で目標にしたいこととか、こういう学校であってほしいとかっていうのはありますか?

加藤:関東とかのトップダウンとか、はっきりとビジョンを持ってる校長先生たちのような考えではないです。
ただはっきりしているのは、キリスト教の学校としてやってきてるので、自分はクリスチャンではないんですけど、「敬神愛人」という神を敬い、人を愛す。は絶対に忘れずに、と。

単純に言うと、神は完璧な存在。それに対して人間っていうのは、絶対に誰もがどこかに欠点を持っていて、その欠点が多い人もたくさんいるので、その神と自分を比較して神というものを尊敬の目で見るんです。感じるんです。
その時の自分を振り返って、自分と同じ仲間っていう人たちをお互いに愛してほしいです。
結局みんな一緒なんだからっていうのも敬神愛人の精神なんです。それを基本的には生徒に知って欲しい、持ってほしい。できる限り自分が力を得たことによって、人に対して思いやりのある心で接してほしいっていうのは、うちの看板なので。
僕の根底にそれがなかったとしても絶対にやらせなきゃいけないなっていう気概は、校長としては当然あります。

その力を入れるためには、やっぱりうちは男子校だからいろんなことに挑戦してかないと、絶対そういう力を手に入れられない。
それがあの頃だと勉強っていう風に思って僕はやらせました。ある先生たちだったら部活などで貢献しています。
だけど今、うちの学校は勉強も部活も両方できるような子たちが、増えてきていて、男である以上部活みたいなこと文化系でも結構なのでのめり込んでやってほしいし、一方で勉強もやってほしいし、自分の能力をとにかく高めてそれを社会に出て役立てるようになってほしいですね。

ー教員は生徒に対してそういう風に思うっていうことに対して、共感できるような教員が採用するんだったら来てほしいですよね。

加藤:そうですね。

教員採用に関して

ー非常勤も含めてでいいんですが、直近で採用はありましたか?

加藤:毎年、数人は採用してます。
求める教員としてはクリスチャンじゃなくてもいいんですが、キリスト教に理解を持っていかないといけないと思っています。キリスト教の一文でもいいんですよ。たくさんある中の、この言葉は嫌でもこの言葉は好き、とかでもいいと思います。
とにかくキリスト教に理解を示して、生徒の周りではキリスト教の闇雲な批判をやってほしくないです。

キリスト教へのちゃんとした批判はやってくれていい、と僕は思ってます。
例えば十字軍みたいなものは、やっぱりキリスト教の考えの悪用の一面があるんだと思うんですけど。そういうような歴史っていうのを、やっぱり反省しなきゃいけないと思いますし、キリスト教っていう名で、アクセサリーをしてるっていうこともないわけじゃない。そういうのはいけない。
イエスキリストが本当に願ってたようなことっていうのは、大事にして行かなきゃいけないなと、そこを大事にしてくれる人だったら誰でも入れますよ。

その一方で、勉強だけを教えたいっていう先生や、部活だけ教えたいっていう先生も難しいですね。もちろん生徒には両方させたいんですけど、先生たちがじゃあ、勉強も部活も両方得意かって言ったらそれは分からないです。ただ大事なのは、僕は勉強中心に教えるよ。でも部活のこともないがしろにはしないし、生徒にはこういうのも大事さを訴えていくし、頑張れる生徒は褒めてきたいし、同じように逆も、というような先生じゃないと、うちに合わないな、という風には思います。

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