今回は、東京女子学園中学校・高等学校の理事・校長の河添 健先生にインタビューをさせていただきました。偏差値重視の現代において生徒の人間性を育てること、部活動は教員の仕事なのか、数学は「役立つ」のかなど、様々なお話を伺いました。
※東京女子学園中学校・高等学校は、2023年度より芝国際中学校・高等学校に名称が変更し、共学化します。
河添先生のご経歴
ー河添先生はもともと慶應義塾大学で教員をされていたとお聞きしました。
河添:その通りです。慶應義塾大学の教員の立場で慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部の校長を務め、その後、総合政策学部の学部長も務めました。後に東京女子学園中学校・高等学校の校長にと声をかけていただきました。中高の教員から校長になった、というキャリアではありません。
教員の個性や自由度も尊重したい
ー採用の際のマッチングについて、お聞かせください。
河添:ミスマッチがないようにすることが一番大事です。採用する側には「これだけは絶対守って欲しい」という必須の条件もありますが、教員の個性や自由度も尊重したいという思いもあります。
教員の仕事は、基本的には生徒を人間として育てることです。その育て方にルールがあるわけではないので、先生一人ひとりの個性がたくさん出ます。そこと採用する側の思いが合致するのか、そこをしっかりと見ることがマッチングで一番大事なところですね。
ーどのような教員を求めていますか。
河添:新任の先生が一番悩むのは、まず自分のスキルが大丈夫なのかということだと思います。先輩の先生からいろいろなティーチングのスキルを教わって、だんだんと成長していくのが教員の歩む道です。教わることが第一歩です。
ただ、単にそのスキルで偏差値の高い学校に合格者を出すことができる教員がよいのだ、という考え方でキャリアアップを進めてしまうと、やっぱりいい先生ではないと思いますね。
受験の裏側にある生徒の悩みまで理解できる教員、というのが求められているのだと思います。
ー最近の若い先生は、目標を定めて、それにむかって手段を考えていこうとする「教務メソッド主義」になりがちだと聞いたことがあります。
河添:いろいろなメソッドがありますが、全ての生徒に同じメソッドで教育をして満足してしまっているのが、日本社会の大きな問題だと思います。本来はメソッドからはみ出ていたり、メソッドが嫌だという人たちの方が将来いろんな改革を起こすのです。そのことはみんなわかっているのだけれども、そこをケアすることはとても大変です。ですから「自分はメソッドをちゃんとやっているのだから、いい先生なんだ」となってしまうと本末転倒です。
メソッドからはみ出したところとか、それについていけない、そういったところにも価値があるのだという視点を持てれば、生徒や先生はまだ育ちます。そのはみ出たところとかを、「ダメだよ」と言ってしまう先生にはならないでほしいですね。
本来、メソッドは、個性が多様な教室で、「導入すれば現実的で、失敗が少なくてすむ」という視点から生まれたものですから、そこからはみ出していることも普通なのです。
ーそれを現場に出る前の学生がイメージするのは難しそうです。
河添:勉強が得意な生徒は、ほっておいたってできるのです。大人が介入せずに自分で勉強しましょう、というのが一番いいと思っています。
一方、勉強が苦手な生徒には、勉強の楽しさや方法を教えてあげて、自分で勉強できるような方向へ持っていくことが大切です。一生勉強が必要なのですから、勉強で苦しさを感じている生徒には、やはり勉強の楽しさを感じさせるところからスタートするべきです。
均一のところでメソッドでやればそれなりにうまくいくけども、多様なところに無理にメソッドを当てはめようとすると、教育としてはダメなのだと思います。
ー最低保証はするけど、そこから先は教師の力量次第ということですね。
河添:手がかかるというのが教育の醍醐味だと思います。そのような子が社会人になって成長していくと、感動が違いますよね。例えば自分がこういうアドバイスをしたら勉強にスイッチが入ったとか、そういったことが教育者として一番嬉しいことだと思います。
だから、新任の人にはなかなか難しいことかもしれないけど、生徒が成長していくとことが教育の一番の楽しみだと感じてくれる人が欲しいですね。
ー来年度から「芝国際中学校・高等学校」と校名が変わり、共学化かつ新校舎になるとお聞きしました。教員の採用も1学年ずつ増えるのは大変だと思いますが、基本的に常勤の採用となるのでしょうか。
河添:今回は、常勤からの採用を原則とします。非常勤から採用して育てることも考えられますが、立ち上げなので常勤や専任を前提としています。引き抜きもあるかもしれません。
スタートアップはしっかりやらないといけないと思っています。その意味で「自分は志があって0から一緒にスタートしてしっかりやりたい」という熱意のある人は大歓迎です。
進学校でも人間性を育てる教育がしたい
ー5年ほど前から「女子校が苦しい」というお話を聞きますが、河添先生はどのようにお考えですか。
河添:私は数学者なので、校長に着任した2年前にデータサイエンス教育を本校に取り入れました。当時はどの学校でも取り入れていなかったので、生徒も少しは増えてくれるかと思ったのですが全然響かなかったです。説明会でデータサイエンスのお話をすると、お父さんは「今の社会でデータサイエンスができる女子を育ててくれるのは素晴らしい」と感動してくれるのですが、お母さんへの説得が難しいのです。少なくともGMARCHに行けるくらいの教育をしてくれますか、となってしまいます。
「偏差値重視の指導」に対して、「私はそういう方法で人を育てる教育をしません」と言うと、お父さんは理解してくれるけど、お母さんを心配させてしまう。そういう中ではなかなか生徒が増えづらいと実感しました。
ー女子校であるという点も、生徒募集が難しい要因なのではないかと思います。偏差値を重視する中で女子校を選ぶと、難関校しかないように思います。
河添: よく理事長と話し合ったのは、日本の教育がおかしいということです。
世界と比較するとある程度日本は豊かになっているけれど、我々のライフスタイルはあまり豊かになっていない。日本人の気質と言えばそうなのだけれど、企業や大学の構造からして社会がなかなか変わらない。
そこを変えるのは教育だと私は思っています。だからここでの女子教育の中で、文理融合やデータサイエンスなど、新しいことを試してみて、変化の起爆剤になりたいのです。今、2年ぐらいたって世間ではデータサイエンスという言葉がようやく浸透してきているので、今までやってきたことは正しかったなと思います。芝国際でも受け継がれると信じています。
ーそうですね。
河添:日本の教育を変えなければいけないと思っています。新しい芝国際を開校準備していますが、進学校の位置付けにします。私個人の思いは、単に“偏差値を上げてよかった”という進学校だと私のイメージとは全然違います。“いかに人間性を育てるか”を大切にしたい。
それには色々なカリキュラムの中で教育していくことが必要だと思っています。
ー人間性を育てる教師にきてほしいということですね。
河添:もし「東大に合格させよう」という考えだと、予備校のカリスマ先生に授業をしてもらえば成果が出て、外から見ても素晴らしいと評価してもらえるとは思います。でも、それは未来の学校なのか、というと私は違うと思うのです。
「勉強ってなんだ、大学に行くことってなんだ。大学に行かなくたっていいじゃない。」そのくらいの心を持った上で上位大学や東大を目指すというのはとても価値がある。ただ単に東大ありきでガリガリ勉強するというのは、世界では通用しないと思っています。
ー私学だと、生徒に響くということも大事だと思いますが、保護者に響かないと選ばれないと思います。
河添:一番明確な評価は、卒業生が自分の子供を母校に入れるか、ということです。自分が育った学校でもう一度子どもを育てたいということは、結局、お父さんやお母さんは母校でいい思い出があったということだと思います。卒業生の子供が戻ってくることで、教育が間違いではなかった、という認識をもつことができますよね。
ー教員の採用も、「〇〇大学卒」という履歴だけでははかれない部分があると思います。
河添:そうですね。単に「このスキルがあります」とか、「偏差値がこのくらいの大学に在籍しました。」というだけではやっぱりダメです。学校のポリシーの中で自分がどのように貢献できて、自分を採用してくれたら自分はこの学校をこういう風にします、ということを描ける人がいいですね。
部活動は別の会社をつくるべき
ー教員の働き方改革についてどのようにお考えですか。
河添:これは私個人の意見です。新しいところではどうするかまだ具体的になっていませんが、部活動は教員の本業ではないと思っています。
部活動は、地域や民間のクラブでやればいいことであって、本来は学校の先生の業務外だと思います。日本では人間形成のために学校の部活動が必要だと議論するけれど、それは普段の授業や進路指導ですればいいのです。
シーズンスポーツは別として文武両道を御旗に部活動まで先生がやっている国はとても少ないですよね。人を育てることは授業の中でしっかりやるのが世界の標準。日本は知識の習得を主に一生懸命授業をやってしまうから、人間形成は部活動でやろうという、ちょっとへんてこな伝統ができちゃった。
もちろん、部活動を通して人間形成をすることには大賛成です。でも、それは地域や民間のクラブがやればいいことだと思います。
ー今、教員の部活動反対が話題になっていると思います。私個人の意見としては、問題は「部活動をやるかやらないか」ではなくて、残業代の話なのではないかと思うのですが。
河添:いろんなことが絡んでいますね。部活動をやらない先生がいてもよいし、やりたい先生にはその分の手当てをちゃんと支払う。生徒も部活動に入りたい生徒もいれば、そうではない生徒もいる。そのような多様性を受け入れる仕組みがあるといいなと思います。
ーそのしくみを学校で独自に作るのはなかなか難しそうですね。
河添:コーチを派遣するような会社を利用するのがよいと思います。地域や民間のクラブへの参加することは本来各家庭で考えることです。もし親が学校で用意してほしいと言うようなら、学校は会社を立ち上げる。部活動をやりたい先生はその会社に入ってもらって、そこから給料を出せばいい。本業とアフタースクールは分けるべきなのです。アフタースクールも教育だと言うなら、相応の手当を払ってきちんとするべきなのです。
「数学は役に立つから勉強しよう」は間違い
ー河添先生の専門はデータサイエンスですか?
河添:純粋数学です。
日本では小学生までは数学が好きな子が多いのですが、大学に行くまでに嫌いになってしまう人が多くて、残念に思います。
とくに高校で文系コースを選ぶと、大学に入学する前の1年くらいはブランクになって数学を忘れてしまいます。そのような学生に対して大学は高校の復習からやらなければならない。補習授業をするなどしてどこの大学も苦労していると思います。結果として日本でのデータサイエンスの分野が大きく遅れているのだと思います。
ー就活で行われるSPIのレベルも低いですよね。
河添:小学生の中には、世界のトップレベルだと思えるくらいに、さまざまな数学の知識があり、色々な解き方を習得している子が結構います。でも、大学生となり就活のSPIになると中学校レベルの問題でも解けなくなってしまう。こんな無駄なことはないわけです。どこか間違えているのですよ。
ー何がいけないのでしょうか。
河添:数学の教員が「数学は役立つから勉強しようね。」と言うことが間違っていると思います。実際に真の意味で役立つ成果を経験した教員は少ないわけですよ。受験に役立つでは話にならない。
大切だというのは正しい。役立つことと、大切なことは違うのです。
数学は大切なのです。だからやらなければいけない。それを役立つからやりましょうと言うから、おかしくなっている。
海外では「大切だからやりましょう」と言ってある程度は難しいこともやっていますが、日本と比べればレベルは低い。数学が嫌いな人もいるけど、日本人ほどではないので、それなりにちゃんと役立つレベルにまでなる。始めのころのレベルは海外の方が低いけど、伸び方を見ていくと、大学院ぐらいになるとむしろ海外の方が高いのでは。日本は息切れしちゃって、伸び代がない。
こういうことは文科省もずっとわかっているのだけど、なかなか変えられないようです。
ー他の科目も「役立つから勉強しよう」というのは間違っている、ということですか。
河添:英語は役立つ。それは海外に行って英語を喋れば実感します。コミュニケーションツールとしてもやっぱり大事だから、役立つ、でいいと思います。
数学に関しては大切なことの本質を分かっている先生が、面白いところや大事なところを踏まえて教えるのと、ただ単に問題が解けるようにしましょうと教えるのとでは雲泥の差があります。こんな問題は解けなくてもいいよ、ってちゃんと言えるぐらいの先生の方が正しいかもしれません。
自分のペースで考えるから楽しい
ー子どもたちに数学を好きになってもらうにはどうしたらいいのでしょう。
河添:以前、大学にクイズやパズルの本を出版されている先生がいました。そこで「クイズやパズルを使って、数学を楽しく勉強するカリキュラム作りましょう」と提案したら、「そんなことをやったらクイズやパズル嫌いができるだろう。」と一喝されました。納得です。
要するに、楽しくやるというのは自分のペースで自由に考える時間を使ってやるのが楽しいのです。それを決まった形でやろうと押し付けたり、へたに評価するとつまらなくなる。
数学に限らず勉強は本来楽しいものです。「楽しい」と感じられた人は伸びる。そこをうまく教えれば、その科目を好きになる人が増えてきます。
でも数学の先生はなかなかそのポイントを抑えられていないのです。だから、どんどん嫌いな人を作っていってしまう。生徒からみれば、最終的な評価は〇か×しかなくて、早く解け、とか言われて、挙句の果ては、こんなことも解けないのか、とか言われて・・・そんなことやっていたら楽しくないですよね。
ーなかなか生徒に理解をしてもらうのが難しい教科ですね。
河添:私は数学とアートはほぼ同じだと思っています。
数学は公式を使っても答えを出すことよりは、コンセプトが大事なのです。西洋はそういうところをきちんと教えていて、問題を解くのはゆっくりゆっくりやっている。数学の一番面白いところをしっかりと教える教育をやっている。だから大学院ぐらいで伸びるのだと思います。
日本はコンセプトよりは、問題を解いて答えを出すというところにウェイトを置いてしまっている。息切れして数学の本質であるコンセプトをきちんと理解するところに行きつかなくなってしまった。
数学の面白さは、プロならば分かるわけで、それを分かっているのが理想の先生ですがハードルはものすごく高いです。
今の数学の教科書は、欧米に比べると非常にコンパクトにまとめられていてとても素晴らしい。でも、それなりに無理してコンパクトにしています。ですから「教科書に無理があるとかわかりますか?」と聞いて、「はい」と答えられる人は分かっている人だと思います。
ーどういったところに無理を感じますか。
河添:一番顕著に現れるのは定積分ですね。aからbの間で定義さえた関数fの積分を、我々の世代では図形を分割して面積を近似して・・・と教わりました。今でも発展のところにそう書いている教科書はあります。でも教科書の定積分の定義はfの不定積分Fを使ってF(b)-F(a)である、となっています。日本に限らず外国でもそういう教え方しているところが多いです。ここで定積分の本質は面積であって、それが不定積分で求まるということが、ニュートンとライプニッツの大発見である。その話が言える教員と言えない教員がいるのです。要するに大発見があった歴史がわかっている教員と、単に定積分を計算の公式として教える教員とでは、深みがもう全然違うわけですよ。
ー数学ではそのくらいのプロに教員になってほしいということですね。
河添:美術の先生も、今、絵描いている先生がいいです。作品を作ることの苦労とか、成果に対して満足したりしなかったりとか、常に自分自身に問いかけをしている。そうしている先生と単に絵を描きなさい、と言う先生は違う。
「絵を描く」というその行為に、何を表現して、どういうものが求められていているのか。一生懸命に描いたのに売れなかったとか、入選しなかったとか、いろいろなことがあると思います。そういうことを経験している人は、絵を描くことの本質がわかる。
全部の教科でそういうプロ意識があって、そういう教員を育てるのが、本当の教職過程だと思います。
ーそこまでできる人がこの給料でやるかっていうところが気になります。
河添:当然、給料をあげなきゃいけないし、給料の差をつけなきゃいけない。手当てで差をつけるのではなくて、最初からスキルを評価する。難しいのであれば成功給でもいいと思います。
河添先生からメッセージ
ー教員志望者や若手の先生へメッセージをお願いします。
河添:単に既存のメソッドを実践するのではなく、各生徒一人ひとりを育てるためにはどういうことが出来るだろうか、その視点を強く持ってほしいです。
新任のあなた方が将来の学校を作り、そこで教えた生徒が世界に羽ばたいていきます。そこに関わることのダイナミズムを意識してほしいと思います。あなたが教えた生徒が世界の未来を創ります。