【校長インタビュー#18】鴎友学園女子中学高等学校の大井正智校長へインタビュー!

今回は、鴎友学園女子中学高等学校校長の、大井正智先生にお話を伺いました。
大井先生は早稲田大学国語国文学専攻科を修了後、国語科講師として都内の私立男子校に勤務され、その後国語科教諭として85年に鴎友学園に着任されました。2017年より教頭、18年より校長をされています。

「先生はいろんな職業になれる」
教員を目指したきっかけ

はじめに、大井先生が教員になったきっかけを教えてください。

大井先生(以下敬称略):小学生の時にある文を読んで、その時に「教員になろう」と決めてしまったんです。
おそらく教科書に載っていた話だと思うのですが、その中である生徒が「先生はなんで先生になったの?」と聞くんですね。すると先生が「いろんな職業になれるからだよ。」と答えるんです。「みんなが卒業していろんな職業に就いて、戻ってきてくれたらその話を聞くことができるから、先生はいろんな職業になれるんだよ。だから先生になったんだ。」と。それを読んで「先生っていいな、なりたいな」と思いました。

高校・大学と周りの友人は進路に悩んだりしていましたが、私自身はその時に決めてから自分の進路について悩んだことはありません。「先生になる」ということが目標でしたから、専門教科も後からついてきました。

実際に先生になって、そのお話の内容を実感されることはありますか。

大井:あります。卒業した生徒がやってきて、「今大学で、会社でこうなんだよ」といろんな話を聞かせてくれる時はやっぱり楽しいです。とても刺激になりますし、いろんな人の人生に触れるチャンスがいっぱい転がっているという意味では、教員はやっぱり楽しい職業だなと思いますね。

それから、これは私自身も私立に勤めてから気がついた事なのですが、私立教員はこうした機会が特に多いと思います。公立の学校だと、校舎はそこにあっても先生が転勤してしまっている事もありますよね。私もこの学校に着任して38年くらいになりますが、私立は公立と違い同じ学校に長く勤める先生が多いですから、校舎も先生もそこにいて卒業生を待っています。鴎友にも毎年多くの卒業生が先生に会いに来てくれますが、これは私立の良さの一つだと思いますね。


「国の大切な部分を担っている」
私立学校の重要性とは

大井先生は大学を卒業して教員になられた当時、公立と私立の違いについてどうお考えでしたか。

大井:あまりこだわりはありませんでした。私自身が高校までずっと公立でしたから、私立についてイメージが無かったんです。当時たまたま私立男子校の講師の募集があり、ご縁があって勤めることになったんですが、その後やはり教論になりたいと鴎友に移り長く勤める中で、私立学校の重要性を強く感じるようになりました。

­「私立学校の重要性」とは、どんなことでしょうか。

大井:何より大切なのは、学校それぞれに建学の精神があることですよね。私立学校は創立者の強い思いがあってできていますから、「何を大切に生徒を育て、学校を運営するのか」という学校の特色がそれぞれ明確に異なります。
日本の私立学校法に、『私立学校の特性にかんがみ、この自主性を重んじ、公共性を高めることによって、私立学校の健全な発達を図る』と書いてあるのですが、この私立学校それぞれの「自主性」が、この国にとって重要な役割を果たしているんですね。うちの理事長が「世の中が公立だけになったら、本当の民主主義は守れないだろう」という話をしていたのですが、公立学校に加えて様々な方針を持つ私立学校があるからこそ、日本の民主主義は発展し守られてきたのだと思っています。

ですから、私立教員はこうした国の大切な部分を担っているという意識を持った上で、自分の学校の特徴や理念を常に意識して生徒に接しなくてはいけないと思います。そしてこれから私立の教員になりたいと思っている方には、各学校の独自性をきちんと把握し、自分の個性と照らし合わせてから志望することが大切だよと伝えたいですね。


「世の中の動きがどうあろうと『生徒にとって大切だ』と思ったことを信じて実現する」
鷗友学園の歴史と精神とは

では、鴎友学園の歴史や独自性について教えていただけますか。

大井:鴎友学園は、東京府立第一高等女学校の校長を務めた市川源三がまもなく定年を迎えると言う時に、第一高女の同窓会(鴎友会)が「もっと彼に学校運営をして欲しい」と考え、寄付金を呼びかけて作った学校です。

昭和初期当時の高等女学校の教育というのは「良妻賢母な女性の育成」が最大の目的でした。男尊女卑の時代で、男女の教科書の内容が違い、高等女学校用の教科書が別にあったんですね。でも、市川はそうじゃなくて女性たちも活躍できるんだと。女子生徒たちに「あなたたちは女性である前に1人の人間だ。だから人間として社会に出て活躍しなさい。」ということを言っていたんです。
当時彼の考えをよく思わない人は大勢いたそうですが、その教育を受けてきた生徒や保護者が「日本の女子教育にとって彼の考えが大切だ」と感じ、行動してできたのが鴎友学園です。現在でいう1億円ほどの寄付金を、女性たちがたった1年で集めたそうですよ。

それはすごいエネルギーですね。

大井:その後市川が亡くなり1940年から校長になったのが、津田梅子や内村鑑三を師としていた石川志づです。彼女は「これからは英語が必要だ」と、第二次世界大戦中も英語教育を行なっていました。昭和20年に戦争が本格化すると学校が閉鎖になり、鴎友の生徒たちも学徒動員で狛江の工場へ働きに出るのですが、石川はそこに出向き、生徒たちに英語の詩を読んで聞かせたそうです。ある手記には、それを聞いた生徒の言葉で「自分たちの渇き切った心に、天から天使が降りてきて気持ちを潤してくれたような思いがする」と書いてありました。

当時、しかも学徒動員の工場で英語の詩を読むというのは大きなことですよね。それこそ非国民と言われ立場が危うくなるようなことかと思います。

大井:そうですね。大変なことだったと思います。

男尊女卑の時代に「女性も社会で活躍できる」と訴えていた市川。そして英語は敵国語だと言われていた時代に「英語を学びましょう」と訴えていた石川。この2人の考えがこの学校の始まりなんですね。つまり、世の中の動きがどうあろうと、生徒のことを一番に考え、「生徒にとって大切だ」と思ったことを信じて実現するのが鴎友学園である、ということです。ですから、私たち現在の教員もこの考えを大切に、様々なことの判断をしなくてはいけないと思っています。

それから彼らは創立当時から、「知育・徳育・体育も大切だ」という考えで、園芸などにも力を入れてきました。ですから、今も我々教員は「主要五科という言葉は使わない」ということを合言葉とし、「学内にあるものの全ては、生徒を成長させるために存在する」という思いで生徒に接しています。


「生徒の学びの場や先人たちの心意気を守る
コロナ禍での鴎友学園の決断とは

大井:例えばコロナ禍の学校運営においても、この考えを大切に様々な判断をしました。

一つはクラブ活動の実施をどうするかの判断です。
当時、「大会に出るクラブだけ活動して良い」としている学校も多くありましたが、鴎友学園は2020年6月に学校を再開した時から全てのクラブが活動できるようにしました。「クラブ活動も学校で得られる大切な学びの一つだよね」ということです。ただ、通勤ラッシュを避けるために下校を早めたり、消毒の時間を設けたりといった対策も必要でしたから、授業を少し短縮し40分にしました。

クラブ活動も授業と変わらないくらい大切だということなのですね。

大井:そうです。もう一つは修学旅行です。鴎友学園は2020年も11月に修学旅行を行いました。

当時、修学旅行を実施するということは相当な決意とエネルギーが必要だったのではと思います。創立者のお二人が置かれた環境と似ているというか。反発もあったのではないですか。

大井:そうですね。難しい決断でした。
「リスクがある」という正当な理由に対して、それを超えるだけの「実施する理由」を示すことは難しいですよね。だって、「感染したらどうするの」と言われたら、もう反論のしようがありませんから。でも、やはり修学旅行も学校の中の大切な学びの一つなんですよ。

鴎友学園の修学旅行は中学生が沖縄へ、高校生が奈良・京都へ行くんですが、中学の様々な事をストレートに受け止められる時期に、戦争について触れること。それから、高校のより深い知識や考察が得られる時期に、きちんと事前学習をした上で文化に触れることは、とても大切なことです。この時期だからこそ得られるものが必ずあるんですよね。だからなんとかして行かせてあげたかったんです。

修学旅行初日、東京駅と羽田空港にそれぞれ見送りに行きましたが、ほとんど人がいなかったですし、実際に私たちを見て難しい顔をしていく方もいました。これで何かあったらどうしようと随分考えましたし、生徒たちにも黙食など様々な我慢を強いてしまい申し訳ない気持ちでいましたが、帰ってきた生徒たちの話を聞き顔を見た時には「本当に行かせてあげてよかった」と思いましたね。

中学の子たちは、友達と一緒に青い海を見たり、青い空を見たり、白い砂を見たりして綺麗だねって言えたのがすごくよかったとか。戦争の手記を友達と二人で読んで、悲しいねと話し合えたのがすごくよかったと言ってくれました。高校生は帰りの新幹線で、学年主任のところに出かけて行って「連れてきてくれてありがとうございました」と伝えることができたと言っていました。

まさにこれが学びだと思うんですよ。子どもたちがこうしたことを感じたり、言えたりできるっていうのは。生徒たちの成長した姿を見て本当に嬉しかったですし、生徒の学びの場や先人たちが作った鴎友学園の心意気を、少しは守れたのかなと感じました。


「生徒たちの教員に対する思いを、いつでも意識しておかなければいけない」
教員をやっていてよかったと感じるときとは

大井:これは当時修学旅行に行った生徒が卒業後にくれたメールの文と、別の生徒の保護者の方からいただいたカードなんですが。

〜卒業生からのメール〜
同い年の友人の中に高二の修学旅行や運動会、学園祭をやった人は1人もいませんでした。みんな修学旅行も何もかも無くなったと言っていました。世間では、今高校を卒業する子達は高校生活全てをコロナ禍で我慢しながら過ごした世代という紹介もされていました。高校生活の思い出を先生方に守って頂きました。「本当に鴎友で良かった。先生方に感謝してもし足りない。」そんな話を卒業から一年経った今、高校の友人とよく話します。
全ての行事を中止にした学校が多く、その方が楽であったはずなのに、様々な調整をして例年と形が変わろうとも私たちの経験を守ってくださり、本当にありがとうございました。2022年度卒の学生の中で日本で1番充実した高校2年生を過ごした自信があります。先生方から頂いた大きな愛に心から感謝します。

保護者からのメッセージカード

大井:こういったメッセージをいただくと本当に嬉しいですよね。励みになります。
それから、これは昔担任をした中1の子たちが、最後のホームルームの後にプレゼントしてくれた時計です。

生徒からプレゼントされた時計

素敵な時計ですね、年季も入っていて!

大井:はい。今は動かなくなってしまったんですが、ずっと自分の机に置いていました。

ある日みんなで一緒に掃除をしていたら、生徒たちが「先生、今何が欲しいですか」って聞いてきたんですね。私はそれに対して「時、時間かな」なんて言っちゃったんですよ。今思い出すとカッコつけてたなと思うのですが。物で言えば良かったのに「時」って言われちゃったから、生徒たちは困ったと思うんですね。一生懸命考えて時計を買ってくれたんだと思います。

私のことを考えて選んでくれたことがとっても嬉しかったんですが、反省もしたんです。鴎友の生徒たちは先生がすごく好きなんですよ。生徒同士も好きなんだけど、先生を大好きだと言ってくれる子が多いんです。だからこそ、その生徒たちの思いをいつでも意識しておかなくちゃいけないなと時計を見ながらいつも考えています。


「なんでも一生懸命やる、必要だと思ったら自分たちで行動し実現する」
鴎友学園の変わらない考え方や生徒の気質

鴎友学園は近年「躍進校」とも言われ進化を続けているかと思うのですが、今伺ったような建学の精神や心意気を変わらずに大切にされる一方で、変化してきたものは何かあるんでしょうか。

大井:変わったことはあまりないと思うんです。学校の考え方も生徒の気質も。
ただ、世の中の動きに合わせて「生徒たちにとって何が一番大切なのか考えて、取り入れる」ということはしています。

変わらない建学の精神に基づいて判断していく中で、新しいことを取り入れることもある、ということですね。

大井:はい。例えばBYODという取り組みです。これはGIGAスクール構想を実現するにあたり、「あなたの持っているデバイスを持ち込んでいいよ」というもので、私が校長になった年の2018年にまずは高校からスタートしました。

校内のWi-Fi環境はずいぶん前から整備していましたし、先生はiPadを使って授業していたのですが、では生徒の学習に導入するのにどうする?という時は、学内でもずいぶん議論したんです。どのデバイスにする?理科はiPadがいい、英語はChromebookがいい、それからキーボードは必要だよねとか、スマホとタブレットの違いはどうだとか。でも結局、学校が「今日からiPadを渡すので使いましょう」としてしまったら主語が先生になってしまうと。ですから鴎友は学校が生徒に一律で支給するのではなく、生徒自身が使い慣れているデバイスを持ち込んで学びましょう、としたんです。

開始するにあたり、学習指導部と生徒指導部で話し合っていくつかルールを作ったんですね。「自分のデバイスに愛着を持ち大切にしましょう」「学習のために使う文房具の一つだと捉えましょう」「使わない時間も大切にしましょう」「歩きスマホなどの社会的にNGな使い方はやめましょう」の4つくらいかな。教員から生徒に伝えたのはそれくらいでした。
そしたら生徒会の高校生の子たちが私のところへやってきて、BYODについて話をしたいと言ってきたんです。「みんなで正しく活用したい」と自主的に行動して、全校生徒の前でプレゼンしてくれました。

それ以降「生徒会の子たちがBYODについて正しく活用するよう呼びかける」というのが毎年の習慣になったんですが、2021年に中学で使用を開始した時には、有志何人かでこんな冊子を作ってくれたんですよ。

表紙の絵も生徒作。スラックスを履いている子も。

生徒たちが考えた「デバイスの活用法」

レイアウトなども面白い

文章から構成、イラストなど全て生徒が作ったんですか?

大井:そうです。印刷以外は全て生徒です。しかも全部オンラインのやりとりで、10日間で作り上げたと言っていました。それも苦労した感じでもないんですよ。本当に驚きましたね。彼女たちって想像を絶するというか、本当にすごい能力と行動力を持っているんですよね。

ある生徒がオンライン学園祭で学校の紹介をした時に、「鴎友学園では、私は運動会頑張るからあなたは学園祭頑張ってねということはないんです。学園祭も頑張るし、運動会も頑張るっていうのがうちの学校なんです。」ということを言っていたんですが、まさにうちの学校を表してくれているなと思ったんですね。
なんでも一生懸命やる、必要だと思ったら自分たちで行動し実現する」という生徒の気質も、ずっと変わらないなと思います。


「鴎友を好きになり、子どもと向き合いながらその人の人生を一緒に歩めるような人」
鴎友学園が求める人物像とは

­鴎友学園には、どんな先生にきて欲しいと思われますか。

大井:とにかく鴎友のことが好きになってもらえるような人、それから生徒と沢山コミュニケーションをとってみたいという思いを持っている人たちに来てほしいなと思っています。

「東大に絶対何人入れる」とか進学実績が大切という学校もありますが、鴎友は違うんですね。もちろん東大に入ってくれたら嬉しいですよ。それは嬉しいけれど、でも鴎友はその数を競うような学校ではありません。子どもたちが自分の人生を考えて決めた目標に対して、「じゃあ一緒に頑張ろうね」というような指導ができる学校であるべきだと思っているので、子どもと向き合いながらその人の人生を一緒に歩めるような人だとうれしいなと思います。

最後に教員を目指す方に向けたメッセージをお願いいたします。

大井:自分の学生時代を思い出してくれると嬉しいなと思いますね。
目を閉じてどんな学生時代だったかなと考えたら、思い出す先生がいると思うんですよね。その先生を思った時に「さあ、自分はどういうことをしようかな」っていうのが見えてくるんじゃないかなと思うんです。自分の人生をサポートしてくれたりとか、一緒に悩んでくれたりとか、一緒に泣いてくれたりとかしたような人がいたんだなってことを心の中に持っているっていうのはすごく良いんじゃないかなと。それで、教壇に立ってくれると嬉しいと思います。

貴重なお話をありがとうございました。

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