学校という公教育の場では、時として子どもを注意しなければならない場面も存在します。教員が感情的に声を荒げてしまっては子どもは反発してしまい、逆効果になることもあるのです。今回は子どもや保護者と信頼関係を築いていく一助にもなる上手な指導方法を解説します。
信頼される教員ほど実は子どもを注意している
子どもに対して優しく諭す、子どもに理屈を懇々と説く、いずれも子どもへの指導としては間違っていません。そして、これらと同様に子どもに注意するというのも生徒指導の一つのあり方です。なぜ、ベテラン教員は生徒指導の選択として注意するという選択肢を取るのか、その理由をまずはお伝えします。
「注意する」ことが出来ない教員は子どもを守れない
子どもたちが日々を過ごす学校には様々な危険が潜んでいます。しかし、そこで教員がしっかりと声かけことができなければ、これらの危険から子どもを守ることができません。
火気や刃物を取り扱うことの多い理科や家庭科、スポーツをする体育などは他の教科に比べると必然的に子どもの不注意によるヒヤリハットも多くなります。そんな状況にも関わらず優しく諭したり、理由を尋ねるようなことをしていては、本当に事故が起こりかねません。注意することでそれらの行動が「危険であること」を子どもに認識させ、その危機回避ための正しい対処法や未然防止に繋げることができます。
子どもを「思う」気持ち必要
子どもたちに真に成長してほしいと願うならば、時には厳しく注意するという対応が不可欠です。教員が子どもに注意する場面としては他に「子どもが悪いこと」をしていた時というのがあります。子どもの側にも様々な理由や意図があるとは思いますが、どんな理由や意図があっても絶対に「やってはいけないこと」であり、決して「子どものしたこと」だからと正当化することもあってはならないことです。これらの子どもの行為を注意することは、上記の行動が「悪いこと」であり「してはならない」行為であることを子どもに認識させることに繋がります。注意された本人が聞き入れるかは別の問題として、ダメなことには毅然と対応するようにしましょう。
注意することができないということは、このような歯止めが効かないことに他なりません。注意されなかった本人だけではなく周りで見ている子どもも不信感を抱いてしまい、徐々に教室や授業の雰囲気自体が悪い方へと傾いていきます。だからこそ、きちんと注意することができる教員は、注意された子どもを止めると同時に、周囲の子どもを「自分も嫌だと思っていたことを止めてくれた」と安心させることができます。その安心は確実に保護者へ伝わり、信頼へと変わっていきます。
ベテラン教員に学ぶ、子どもが聞き入れる指導方法
指導する際は、子どもが注意されることにより自身の行為が危険であること、また悪いことだということを学習し、それらを繰り返さないようにならなければ意味がありません。ここからは注意される側の子どものことを考え、子どもが聞き入れることができる指導方法のポイントを解説します。
注意するラインをキチンと決めておく
注意する行為は生徒指導の中では厳しい方の部類に入ります。そのため教員の側に超えさせてはならない一線を引いておくことが重要です。具体的には、子どもの行動が上記のように命に関わるものであったり、法に触れるようなような行為であった場合です。このような時には、危険を犯したのが誰であろうとも関係なく、それこそ声を上げてでもしっかりと注意するようにします。反対に「超えさせてはならない一線」に満たない、よくある程度の子どもの失敗などは注意や優しく諭す程度に留めておいたり、いっそ軽く流してしまっても良いでしょう。
学生時代を振り返った時に、普段から怒りっぽい教員に注意されたときと普段は優しい教員に注意されたとき、どちらの方が「絶対に言うことを聞こう」という気持ちになったかと尋ねられたら、間違いなく後者だと思います。些細な事でも注意していると、子どもからの印象は「また叱られた」という軽い気持ちしか残りません。また、教員側が感情的になっているだけという印象も強くなります。そうなると「いざ」という時に注意したとしても指導が薄くなってしまい、指導した意味がなくなってしまいます。
指導対象は子どもの「行動」について
ベテラン教員が子どもを指導するとき、あくまでも子どもの「行動」について注意します。繰り返しになりますが、注意することは子どもに対して「絶対に二度とさせない」ようにするという強い意思のこもった生徒指導の形態です。注意する際は、行動に対してのみ取り上げて叱るようにします。抽象的に「注意しなさい」「やめなさい」「○○しなさい」というだけでは子どもも何が危険なのか分かりません。例えば「このままでは火事になる危険があるので片付けましょう」という風に、子どもには具体的にどの行動がふさわしくないのか、どうして良くないのか、そして何をすればよいのかを示すようにしましょう。
また、注意することは、子どもの行動を改善することが目的なので、注意する際には子どもを否定するような言葉を一言たりとも添えてはいけません。子どもの側の能力不足や可能性を否定するような発言は、本当に子どもの心を傷つけます。どんなに教員が「子どものためを思って」言っていたとしても、それらの言葉が入った瞬間に「指導」ではなく、単なる教員の感情の発露に堕ちます。
注意する際は、その場で、短時間で、明確に
子どもが教員にとって指導に値する行為をしたときは、その場で直ぐに注意するようにしましょう。本当は他に目がない場所で注意するのが理想的ですが、子どもに行動の改善を促したり、もしくは一刻も早く止めさせることが目的なのですから、その場ですぐに危険であることを示さなければ全く意味がありません。時間がなかったとしても、その日のうちに呼び出すなどして子どもが忘れないうちに話すようにしましょう。過去のことを持ち出しても、子どもからすれば今更言われても対応できませんので、逆に反感をかってしまいます。
また、時間をかけないことも重要です。子どもが聞き入れてすぐに止めたのであれば、それで教員の役割としては十分です。子どものことを思って色々話したくなる気持ちは分かりますが、注意するときは話題を一つに絞り、子どもが何について指導を受けているのかが明確になるようにしておきましょう。
声を荒げるだけが指導する方法ではない
どうしても「大きな声」で「声を荒げて」という印象が「注意」には持たれてしまいます。勿論、教員側も子どもを危険から守ったり犯罪行為を未遂で止めたりするのに本気ですから、どうしても声を荒げる事になってしまうのは自然なことです。しかし、声を荒げることだけが注意する方法ではありません。例えば、授業中に子どもたちが騒がしいときに一喝すれば、子どもたちは教員の側を向いて一時的には話を聞こうとするので確かに静かになります。しかし、それを授業の度に繰り返していては、段々と子どもへ効き目が薄れてきます。また、元々静かに準備している子どもにとっては無意味な時間を過ごさせることになり、そちら側からの反感を買ってしまうこともありえます。
このような場合、逆に教員は黙って何もしないという手段もあります。子どもは友達との他愛ないおしゃべりは楽しいものであるというのも知っています。同時に授業中に騒ぐのは「良くないこと」であるというのも分かっています。そこで、教員が黙って何もしないことで無言の圧力をかけ、子どもに「良くないこと」をしていると自発的に気が付かせるのが、この注意方法です。この時は静かにしている子どもに対しては、にっこりと笑いかけるなど口に出さなくても「褒めている」「認めている」と伝わるようにすると、更に効果が倍増します。他にも、「いつまで続けるのか?」という質問を子どもにしてみるというような形で行動の改善を促す手法もあります。同じ内容で注意するにしても、子どもに伝わるやり方と伝わらないやり方がありますので、教員も注意の方法をいくつか考えるようにしておきましょう。
注意した後は必ずフォローを入れること
注意された子どもは、気持ちを引き摺ってしまいなんとなく登校しにくくなってしまうこともあります。子どもが快い気持ちで指導を終えるためにも、注意後は必ずフォローを入れるようにします。一番良いのは褒めることですが教員の側も関係ないことを持ち出して褒めるのは難しいと思います。しかし、そんなに難しく考えなくても、次からさせないことが目的なので「次からはしないように」と言って子どもが「はい」と頷いたら十分です。もう少し「なら大丈夫」などと励ます言葉を付けてもよいでしょう。終わったら水に流すようにして、子どもに引き摺らせないことが肝要です。もし、自分でフォローを入れるのが難しいようであれば他の教員や保護者にお願いするのも一つの手段です。その場合は、子どもが何をしていたのかを主観を交えずに事実だけ伝えることを忘れないようにしましょう。
ただし、注意しておきたいのはくれぐれも注意したこと自体への謝罪はしないことです。危険なことや悪いことをしていたから注意したのですから、そのことを謝罪してしまうと、子どもは結局何のために注意されたのか分からなくなってしまいます。
教員には「指導する」技能が欠かせない
子どもを指導ためには日頃からの関係性の構築が不可欠です。具体的には、非常に簡単なことで良いことしたら褒めるということだけです。普段から褒めているということは子どもの側からすれば「この先生はよく見てくれている」ということです。全く関係のない教員に注意されても身に入りませんが、普段から見てくれている教員ならばどうでしょうか。注意されたとしても、子どもは「本当に自分のことを思ってくれている」と感じられるのではないでしょうか。
勿論、理想の形を言えば叱らずに済むならそれに越したことはありません。本当に力量のある先生は叱る必要などない授業運営をされています。しかし「いざ」というときは意外に日常に潜んでいます。そんな時にまで「嫌われたくない」という気持ちで子どもに甘くなってはいけません。子どもの成長を願って「注意する」という伝家の宝刀を抜けるようにしておきましょう。