前回に引き続き、今回はこれからの中等教育とりわけ今後のAI・デジタル時代に向けた教育について述べていきます。前回お話したように中等教育では認知的スキルだけでなく、非認知能力すなわち社会情動的スキルの重要性を指摘しました。あわせてこれからの時代は複雑で予測が難しい社会になることが予想されます。さらに技術の進歩が急速でデジタル化や人工知能すなわちAIの進歩により、教育の内容も激変するでしょう。このような時代に向けてどのような教育が求められるかは重要な課題となります。
人間の基礎的なリテラシーである「読み・書き・そろばん」は、デジタル化により大きく変わりました。漢字が書けなくてもワードプロセッサがあれば漢字が打てますし、計算ができなくても計算機で代替できます。さらにはいま進化をつづけている生成AIを使えば、作文・レポートも英文も瞬時に作成可能です。数学の問題もあっという間に解いてしまうのが現実です。このような時代であるからこそ、どのような教育が求められるかを考えることが重要です。
人類は歴史的にさまざまな技術を発明してきました。料理には火・包丁、早く移動するには、車輪や飛行機というようにそれらは人間の肉体の延長に関わる技術でした。そのため現代人はあえて登山をしたり散歩したりトレーニングジムにいったりして身体を鍛えているわけです。しかしコンピュータや人工知能の進展によってこれらの技術は頭脳の延長にまで及んできました。すなわち人間の精神的な能力の代替物になってきたわけです。つまり人間の思考・判断さえも技術に代替されてしまうようになってきました。
このような時代だからこそ人間性や身体性をもった教育が問われます。あえて手で文字を書くことや手で計算するだけでなく、分らないことがあってもすぐにネット検索しないで考えること、また紙媒体の本を読むことなどがむしろ重要になってくるのではないでしょうか。そして「考える」ことについて、かつて哲学者・数学者であるデカルトは「本を読んで問題にさしかかると先に読むことをやめて自分で答えを見つけようとし、発見の喜びを自己から奪われぬようにした」と言ったと聞きます。
これからの世の中で、生成AIなど人工知能を学校教育で活用することは不可避です。しかし、重要なのは適切に使いこなすリテラシーを身につけることです。われわれが知恵を出し合ってこの新しい技術に対応すべきでしょう。まさに人間の知恵が試されます。
さて、13回にわたって私の経験を踏まえながらエッセイを書いてきましたが、ここで一区切りにします。一年間にわたり購読していただきありがとうございました。