【校長インタビュー#16】恵泉女学園中学・高等学校の本山早苗校長へインタビュー!

今回は、恵泉女学園中学・高等学校校長の本山早苗先生にお話を伺いました。先生ご自身や恵泉女学園のお話に加え、教員という仕事の魅力についてお話しいただきました。

本山先生は、恵泉女学園中学・高等学校のご出身です。国際基督教大学(ICU)へ進学後、英語教員として恵泉女学園へ戻られ、2020年4月より校長をされています。

「小さい頃から学校が好きで、教員という職業に憧れがあった」
教員を目指したきっかけ

ーはじめに、本山先生が教員を目指されたきっかけを教えてください。

本山先生(以下敬称略):教員になりたいという思いは小さい頃からずっとありました。
私は父が自営業で、母もそれを支えて仕事をしていたので、放課後は鍵っ子でした。ですから小学生の頃から2歳年下の弟や同じ団地の友達と遊んで過ごすことが多かったんですが、その時によく学校ごっこをしていたんですね。おやつを出して給食ですって言ってみたり、近くの公園に遊びに行って体育だと言ってみたり。小学校、中学校、高校と先生に恵まれていましたし、学校が好きで、教員という職業に憧れがあったんだと思います。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたし(神)があなたがたを選んだ」
神様に導かれて恵泉女学園へ

ー本山先生は恵泉の卒業生だそうですね。

本山:はい、中高の卒業生です。恵泉は今年で創立94年ですが、私はちょうど創立50周年の時に高校生でした。当時の学園長先生が、これからの半世紀は第2の創業だからと、建学の精神についてよく話してくださっていたのを覚えています。

ー恵泉を受験し進学されたのには、何かきっかけがあったんですか。

本山:私の一回り上の従姉妹が同じような女子学院の出身で、女子校がとても合っていたそうなんですね。それで伯母が「女子中高って一生のお友達ができるし、とてもいいのよ」と勧めてくれたのが、私や両親の心を動かしたきっかけだと思います。小田急線沿いに住んでいたので、小田急線で通える評判が良い学校をいくつか探して、恵泉も受けようと考えていました。
ただ受験を勧めてくれた伯母が、ちょうど中学入試の願書受付初日にくも膜下出血で倒れて、そのまま亡くなってしまったんです。47歳とまだ若かったんですが。ですから我が家は私の受験どころではなくなってしまったんですが、父が経験だけでもと、恵泉だけ締切間際に願書を出しに行ってくれて、結局一校だけ受けました。

ー実際に恵泉で学ばれていかがでしたか。

本山:そうですね。恵泉で学んだことで私の人生は本当に大きく変わったと思っています。
我が家は両親も祖父母もキリスト教とは全く縁がなく、いつも祖母と一緒に般若心経を唱えて、仏壇の前に座ると祖母が喜んでくれるというような家庭でした。中学に入るまでは、キリスト教に触れることが全く無かったんですね。
でも、恵泉に入り毎朝礼拝をして、日曜日は近所の教会を紹介していただき通い、キリスト教の考え方に触れていくことで、私の考え方や人生は大きく変わりましたね。高校時代に洗礼を受けようと思ったこともありました。その時は父に「二十歳になって成人して信仰が変わらなかったら、そこで受けたらいい」と言われて、結局その時は延期したのですが。

ーキリスト教の学校にいても、洗礼を受けたいと思う方はなかなかいないのでしょうか。

本山:そうですね、少ないと思います。今の恵泉も私が受験した時と同様に評判がいい学校だからと受けてくださる方がほとんどで、キリスト教の教育をしているからと選ぶ方は、そんなに多くないと思います。日本人の中で、クリスチャンは1%いるかいないかですから。
でも、この恵泉の一人ひとりの人格をとても大切にする教育や、非常に誠実な生き方をしようとする姿勢が、中高時代の私は素直にいいなと思ったんです。この教えは自分にとってとても素敵なもので、良いものだと思いましたし、聖書には大切なことがたくさん書いてあるなと思っていました。

ーキリスト教の教えを元にした教育というところが、本山先生にとってはとても良かったんですね。

本山:そうなんです。でも信仰の面では、高校時代はまだ迷っていたところがありました。
学校で毎朝礼拝があるという、こういった環境にいるから信じる気持ちになっているだけなのかしら、と受洗の決心も揺らいでいたんですね。ですから大学進学については当初、キリスト教と関係のない男女共学の大学に行っても自分の信仰が変わらないか確かめたいと、早稲田の教育学部を目指していたんです。

ーその時から既に教員を目指していらっしゃったんですね。

本山:はい。教員になるにはどんな大学に進んだら良いだろうかと考えていました。
それで早稲田の受験を考えていたんですが、高3の秋にICUの指定校推薦の案内が張り出されたんですね。調べてみるとICUは小規模の大学の割に、教員になる人が非常に多いということが分かったので、まずはその願書を出してみてダメだったら一般受験しようというつもりでした。当時は指定校推薦でも全員は合格できなかったので、自信はありませんでしたが、合格をいただくことができて、進学しました。

ーご経歴を拝見した時、キリスト教への思いからICUに進まれたのかと思ったのですが、そういった経緯だったんですね。

本山:そうなんです。私はこの時、神様から離れないようにICUへ行きなさいと神様に言われたように感じました。
ヨハネの15章16節に、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたし(神)があなたがたを選んだ」という一節がありまして、恵泉の入学式では代々校長が一節を紹介するんですね。みんな自分で恵泉を選んで中学入試をして入ってきたと思っているかもしれないけれども、そうではなく、神様ご自身があなた方が生まれた時から素晴らしい計画を用意してくださっていて、「あなたは恵泉で学びなさい」と導いてくださったからここにいるんですよと。そのような人たちだと思って私たちは6年間お預かりします、という話をするんです。
ですから、私自身このICUの合格をいただいた時は、神様に引き戻されたんだなと思ったんです。私が早稲田に行ったら信仰がなくなってしまうだろうから、神様の元から離れないようにと。

ー神様が本山先生を導いてくださったんですね。

本山:実はこの「神様に引き戻された」と思った体験はもう一度あるんですが、それが母校の恵泉に教員として勤めることが決まった時です。
私立の教員って、基本的に空きがないとなれないですよね。恵泉も当時、英語の先生が入られたばかりで空きがなかったので、私は神奈川県立高校の採用試験を受けたんですね。名簿登録もされ、4月からは県立の教員になるつもりでしたが、秋口にその英語の先生が急遽退職されることになったからと私にお声がかかり、それで恵泉に勤めることになったんです。
この二度目の引き戻し体験で受洗の迷いも解消し、大学4年生のクリスマスに洗礼を受けました。

私自身、自分の意図しないところで恵泉しか受けずに恵泉に入り、思いがけない出来事で恵泉の教員になることができたんですね。これは全て神様が導いてくださっているからだと思うので、今はその御恩を母校にお返ししたいという思いで毎日過ごしています。

「とにかく生徒が可愛くて、生徒たちとの日々は楽しかった」
印象に残っているエピソード

ー教員をされていて、印象に残っているエピソードを教えていただけますか。

本山:教員になって3年目の年に初めて担任を任されて、中学1年のクラスを持ったのですが、その年の合唱コンクールがとても印象に残っています。当時私は25歳、生徒は13歳なのでちょうど一回り下でした。
合唱コンクールでは課題曲と自由曲を歌って、課題曲は讃美歌や宗教曲を、自由曲はそのクラスで選ぶんですね。1年生に歌いやすい曲でと選んだのが、私の同級生が作詞して、先輩が作曲した「何かがあるから」という曲でした。この曲は学校の創立50周年の時に作られた曲で生徒手帳に載っているんですが、あまり歌うチャンスがないんです。素敵な曲なのに勿体無いなと思っていたので、生徒たちが「とてもいい曲だから歌いたい」と喜んで歌ってくれたのが嬉しかったですね。とっても素敵に気持ちよく歌い上げてくれました。

もう一つ思い出に残っているのは、私の結婚式にクラスの生徒たちがみんなで来てくれたことです。当時私は中2の担任をしていて、その日は水泳教室の日だったんですね。この学校にはプールがないので、駅前のジムやYWCA(キリスト教女子青年会)のプールを借りて、そこに数日通って水泳教室を実施するんですが、その帰りに行きたいと言ってくれました。夏の暑い日でしたが、式を挙げたICUのチャペルでまで、みんなが水泳バッグを持ったまま来てくれたのがとっても嬉しかったです。ICUのチャペルってとても大きいんですが、いつもは走り回っている先生がウェディングドレスを着て長いバージンロードを歩いているのを見て憧れた、教会で結婚式したいと思った、と生徒たちが言ってくれて嬉しかったです。

とにかく生徒たちが可愛かったですし、毎日の授業も行事も、生徒たちとの日々は楽しかったですね。

ー苦労されたこともありましたか。

本山:もちろん、いつも順風満帆というわけじゃありません。苦い失敗の経験もあります。
中2の担任をしていた頃、ある生徒が校則違反をしたり、何人かで集まっていたずらをするという事が続いたが年がありました。他の生徒にいじわるをするということはしない子たちでしたが、時には矛先が私に向いて、物を隠されることもあったので、とても困ってしまいました。
これは後から分かった事なのですが、校則違反をした子は当時、中学生には解決することのできない大きな悩みを抱えていて、そういった形でしか気持ちを発散できなかったんですね。そして、一緒にいたずらをしていた周りの子たちも、なんとかその子を元気付けたいと思ってやっていたそうなんです。
でも、当時の私は、なんとか平穏に暮らそう、落ち着かせようと躍起になってしまって。今思えば、私がその子の悩みや辛さにもっときちんと寄り添っていられれば良かったなと思います。

でも、そのいたずらをしていた生徒の一人が、何年か経って教育実習で戻ってきてくれました。それで、「先生あの時は本当にごめんね、苦労して辛かったでしょう、でもあの時はとにかく友達を励ましたくてやっちゃったんだ」と謝ってくれたんですね。「そうだよね、あの時はああするしか励ましようがなかったよね」と話せた事が何より嬉しかったですし、彼女自身が、過去の自分のことをきちんと理解した上で、教育実習をしようと思ってくれた事にとても感動しました。

「平和をつくり出す人を育てるという使命感に燃えている」
恵泉女学園中高の特色とは

ー恵泉女学園の歴史や特色を教えてください。

本山:恵泉女学園は河井道という一人のクリスチャン女性が、自分の教え子たちと協力して作った学校です。キリスト教の宣教師の先生が、布教活動の一環として作った学校をミッションスクールと言い、日本のキリスト教の女学校の多くはこのミッションスクールなんですが、恵泉はそうではありません。同じキリスト教の学校といっても河井道がある志を持って、生徒9名という少人数で寺子屋のように始めた学校なんです。
河井は伊勢の神官の娘でしたが、父親の失職を機に一家で北海道に移住するんですね。そこで今の北星学園の初代の学生として学び、キリスト教の宣教師であるサラ・スミス先生や札幌農学校の新渡戸稲造先生と出会います。新渡戸先生の影響を受けて、アメリカのファイブシスターズと呼ばれるリベラルアーツカレッジのブリンマー女子大に留学し、帰国後は今の津田塾大学で津田梅子先生の後輩として英語を教えて、35歳で日本YWCA(キリスト教女子青年会)の日本人初の総幹事に就任します。
その総幹事を務める中で、第一次世界大戦が終わった直後に世界各国のYWCAの代表が集まって、これからどういう世界を作っていくかという話をする国際会議に出席するんですね。そこで、それまで敵国として戦っていたフランスやイギリスの女性の代表者が、これからは社会の復興のために協力しましょうと固く握手をする場面を目の当たりにして、「やはり戦争をしない平和な世界をつくるには、女性が社会情勢にしっかり関心を持っていなければ戦争はなくならない」という思いを抱くんです。「ならば少女から始めたい」という思いで作られたのが、恵泉女学園なんですね。

こうした背景から、恵泉は「平和をつくり出す人を育てる」という使命感に燃えています。聖書、国際、園芸という3本柱をもとに、平和をつくり出す人を育てたいというのが、恵泉の特色です。

恵泉では毎年、河井道メモリアルウィークという期間を設けており、河井先生や建学の精神について学ぶのですが、そこで卒業生や関係者の方々から、河井先生がどのような思いでこの学校を作ったかというお話を聞く機会があるんですね。
先輩方のお話によると、河井道は「『はい』と『いいえ』、『ありがとう』と『ごめんなさい』、この4つの言葉をしっかり言える人におなりなさい」と、繰り返されたそうです。それから、私が在校時の学園長先生は、「神以外の何者をも恐れず、独立人として目覚める」ことや、「真理の前には謙遜に、虚偽の前には大胆に」と語られていたことを思い出します。ですから、恵泉の卒業生は自分の考えていることをはっきりと言う人が多いです。

ー恵泉の学生は、建学の精神をとても大切に引き継いでいるんですね。

本山:はい、特に大切にしていると思います。

「生徒一人ひとりの人格を本当に尊重できる人」
求める人材
とは

ー恵泉女学園中高で求める先生はどんな先生ですか。

本山:生徒一人ひとりの人格を本当に尊重できる人ですね。
先ほどお話ししましたが、この学校では、一人ひとりが神様から選ばれてこの学校に入学していて、その大切な生徒をお預かりしている、という考え方で教育に携わっています。ですから教員だから生徒の上に立っているという意識ではなくて、教員も生徒も対等という意識でないといけません。毎朝の礼拝でも、真理の前には教員も生徒も並列に並んでいると考えているので、人権意識はとても大切だと思っています。それから、ご自身の人生を大切にし、前向きに、誠実に生きようとされる方に来ていただきたいですね。

「生徒たちが成長していく姿を間近で見ることができ、その伴走者になることができる」
教員という職業の魅力とは

ー昨今、教員不足が叫ばれていますが、教員という仕事の魅力とはどんなものでしょうか。

本山:中学から高校という、本当に大きく変化する時代を生きる生徒たちと共に過ごすことができるというのは、本当に楽しく素敵なことだと思います。ついこの間までランドセルを背負っていた子が、中学生として電車で通ってくるようになり、それぞれの道を探りながら切磋琢磨して育っていくんですね。そして高校3年生の卒業式では、「汝の光を輝かせ」という言葉とともに、一人ひとりのロウソクにランタンから頂いた火を灯して、世の中に出ていきます。生徒たちは皆、この6年間で本当に素敵に成長し、劇的に大人になります。誰一人として同じ子はいない、個性豊かな生徒たちが成長していく姿を間近で見ることができ、そしてその伴走者になることができる、これがこの仕事の大きな魅力だと思っています。

それから、教育の仕事ってすぐに結果が見える訳ではないんですが、何年後かにすごく大きなご褒美をいただける仕事なんです。例えば、先ほどお話しした教育実習生として戻ってきてくれた生徒の話のように。

思いがけないご褒美をいただき幸せを感じる、そんな瞬間を是非若い先生方にも味わって欲しいと思います。

ー貴重なお話をありがとうございました。

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